競馬雑誌「優駿」が未来に語り継ぎたい名馬・BEST100を発表したのですが、競馬ファンならどの名馬も、誰が主戦ジョッキーなのかすぐ分かりますよね?
紹介された名馬の中には、デビューから最後のレースまで、すべて同じ騎手しか乗っていない馬もいましたが、当然のことながらそうではない馬もいます。
そこで今回は、未来に語り継ぎたい名馬・BEST100の中から、忘れたり知らなかったあの名馬に乗っていた騎手をご紹介します。
印象に残ってしまうのは、G1を勝ったときの騎手なので、数回しか乗っていない騎手を忘れてしまうケースが多いのではないでしょうか。
記憶力が優れいている競馬ファンなら、すべて覚えているだろうけど、忘れっぽい競馬ファンなら、あの名馬にあの騎手が乗っていたことに驚くかもしれませんよ。
3位・オグリキャップ(宝塚記念)
芦毛の怪物・オグリキャップにはいろいろな騎手が乗っており、河内洋騎手、南井克巳騎手、岡部幸雄騎手、武豊騎手などすぐに思い出すでしょう。
そんなオグリキャップに、重賞で乗っていた意外な騎手は、1990年の宝塚記念で騎乗していた岡潤一郎騎手です。
当初、騎乗予定だった武豊騎手は、スパークリークを選択したため(脚部の負傷で直前に回避)、岡潤一郎騎手に周って来たのだが、オサイチジョージの2着に沈む。
自分の場合、競馬を始める前だったので記憶にありませんが、岡潤一郎騎手のG1タイトルがもう1つ増えたかと思うと、勝たしてやりたかったですね。

第6位・ナリタブライアン(天皇賞・秋)
シンボリルドルフ以来の三冠馬・ナリタブライアンと言えば、南井克巳騎手が主戦で、次に乗っていたのが武豊騎手のイメージがあります。
そんなナリタブライアンに、重賞で乗っていた意外な騎手は、1995年の天皇賞(秋)で騎乗していた的場均騎手です。
主戦の南井克巳騎手が落馬負傷のために、的場均騎手に乗り替わったのですが、1番人気に推されながら結果は12着。
7カ月以上の休み明けとは言え大惨敗だったのは、体調が戻っていなかったことが原因らしく、その証拠にこの年の秋のG1は3着以内に入れないまま終わりました。

15位・メジロマックイーン(菊花賞)
オグリキャップの次に思い出す芦毛の怪物は、天皇賞(春)を2連覇したり、天皇賞(秋)で降着処分になったメジロマックイーン。
そんなメジロマックイーンに、重賞で乗っていた意外な騎手は、1990年の菊花賞で騎乗していた内田浩一騎手です。
メジロマックイーンと言えば、武豊騎手が主戦でしたが、もともとは内田浩一騎手が主戦でG1のタイトルを獲りました。
内田浩一騎手は、菊花賞で村本善之騎手に乗り替わる話もあったらしいけど、メジロ軍団の総帥・北野ミヤ会長の意向により、騎手生活で唯一のG1勝ちができました。

18位・スペシャルウィーク(ジャパンカップ)
ダービーを現役最多の5勝もしている武豊騎手に、初めてダービーを勝たせてくれたのが、1998年のダービー馬・スペシャルウィーク。
そんなスペシャルウィークに、重賞で乗っていた意外な騎手は、1998年のジャパンカップで騎乗していた岡部幸雄騎手です。
当初は武豊騎手が乗る予定でしたが、騎乗停止になってしまい、岡部幸雄騎手に乗り替り1番人気に推されたけど結果は3着。
1998年のジャパンカップは、1着がエルコンドルパサー、2着がエアグルーブ、3着がスペシャルウィーク、今考えるとスゴいメンバーですね。

19位・クロフネ(神戸新聞杯)
3歳馬で、NHKマイルカップとジャパンカップダートの芝・ダートで、2つのG1を勝った武豊騎手が主戦のクロフネ。
そんなにクロフネに、重賞で乗っていた意外な騎手は、2001年の神戸新聞杯で騎乗していた蛯名正義騎手です。
神戸新聞杯では折り合いを欠き、エアエミネムの3着に敗れたあと、再び武豊騎手に戻して武蔵野S(G3)とジャパンカップダード(G1)に勝ちました。
クロフネは、タート馬のイメージが強いけれど実際にダートを走ったのは、上記の2レースだけなのでちょっと意外でした。

21位・ライスシャワー(セントライト記念)
ミホノブルボンの三冠、メジロマックイーンの天皇賞(春)三連覇、この2つの記録を阻止したのが的場均騎手が主戦だったライスシャワー。
そんなライスシャワーに、重賞で乗っていた意外な騎手は、1992年のセントライト記念で騎乗していた田中勝春騎手です。
的場均騎手は、同日に行われた函館3歳ステークスのインターマイウェイを選んだため、代打で田中勝春騎手が騎乗したが結果は2着。
菊花賞では再び的場均騎手が騎乗して勝ったけど、もしあのまま田中勝春騎手が騎乗していたら、歴史が変わってたのかもしれません。

43位・シンボリクリスエス(青葉賞)
天皇賞(秋)と有馬記念を2連覇したシンボリクスエスは、岡部幸雄騎手とO.ペリエ騎手の2人が、主に騎乗していました。
そんなシンボリクスエスに、重賞で乗っていた意外な騎手は、2002年の青葉賞で騎乗していた武豊騎手です。
引き続きダービーでも武豊騎手が騎乗するかと思ったら、タニノギムレットを選んだために、以前の主戦だった岡部幸雄騎手に戻りました。
ダービーでは、ご承知の通り武豊騎手が騎乗のタニノギムレットが優勝、2着はシンボリクスエスだったので、武豊騎手の目は間違っていませんでした。

52位・シーザリオ(桜花賞)
日本のオークスだけでなく、アメリカのオークスを勝った名牝・シーザリオは、福永祐一騎手が主戦でした。
そんなシーザリオに、重賞で乗っていた意外な騎手は、2005年の桜花賞で騎乗していた吉田稔騎手です。
桜花賞では福永祐一騎手がラインクラフトに騎乗したため、地方競馬の吉田稔騎手に乗り替りましたが、結果はラインクラフトの2着に終わります。
そのあとは、前述で書いた通り福永祐一騎手を背に日本のオークスだけでなく、日本馬として初めてアメリカのクラシックホースになりました。

90位・ウイニングチケット(高松宮記念)
レース後のインタビューを見る度に、思わず涙が出そうになる、柴田政人騎手の悲願のダービーを勝たせてくれたウイニングチケット。
そんなウイニングチケットに、重賞で乗っていた意外な騎手は、1994年の高松宮杯で騎乗していた柴田善臣騎手です。
本来なら主戦の柴田政人騎手が騎乗する予定でしたが、落馬負傷により、甥っ子の柴田善臣騎手が乗り結果はナイスネイチャの5着。
ウイニングチケットは、柴田政人騎手が最後に乗った京都新聞杯以降は1回も勝っておらず、もしかしたら柴田政人騎手じゃないとやる気が出なかったのかもしれませんね。

99位・ゼンノロブロイ(宝塚記念)
天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念のG1を3連勝したゼンノロブロイは、横山典弘騎手や外国人騎手が主戦でした。
そんなゼンノロブロイに、重賞で乗っていた意外な騎手は、2004年の宝塚記念で騎乗していた田中勝春騎手です。
今となってはなぜ田中勝春騎手になったのか分かりませんが、当時は比較的に藤澤厩舎の馬に乗っていたので、白羽の矢が立ったのかもしれません。
宝塚記念の結果はご承知の通り4着で、ゼンノロブロイは全レース中で4着以下がわずか3回で、その1回が田中勝春騎手になってしまいました。

まとめ
今回ご紹介した未来に語り継ぎたい名馬に重賞で乗っていた意外な騎手たち10選!はどうでしたか?
教えてもらわなくて知っていた馬から、忘れていたり知らなかった馬が何頭がいたでしょうから、少しは競馬の知識の勉強になったら幸いです。
今回ご紹介した中で一番に意外だったのは、ライスシャワーでセントライト記念に騎乗していた、田中勝春騎手でした。
もしセントライト記念で田中勝春騎手が勝っていたら、ミホノブルボンが三冠馬になったかも思うと、「なにやってんだよ!勝春!」と言いたくなりました(笑)。
