享年28歳!自分が初めて好きなった馬・ミホノブルボンの思い出!

競走馬競馬コラム
スポンサーリンク
スポンサーリンク

2017年2月22日、自分が競馬を本格的に始めるきっかけの1頭だった、ミホノブルボンが28歳で亡くなりました。

この馬を当時の朝日杯3歳ステークスで見たときに、なぜかファンになってしまい、それから引退レースになった菊花賞まで、ずっと応援をしていました。

残念なことに種牡馬としては成功をしなかったけど、今の坂路主流の調教のさきがけになった1頭だと思います。

そんなミホノブルボンの思い出を今回は記事にしたいと思います。みなさんは、ミホノブルボンにどんな思い出がありますか?

朝日杯3歳ステークスでの印象!

自分が初めてミホノブルボンを知ったのは、朝日杯3歳ステークスの新聞を見たときで、かなり血統がパッとしていなかったのを覚えています。

当時は、よく暇なときに父が持っていた「競馬四季報」を愛読しており、最後の方になると種牡馬の広告が出ていて、種付け料や成績が載っていたんです。

種牡馬の広告を見ると、血統の善し悪しが多少は分かっていたので、ミホノブルボンが血統的に恵まれていないと思っていました。

そんなミホノブルボンが朝日杯3歳ステークスで1番人気で優勝したから、血統だけでは分からないことがあると思い、ミホノブルボンのファンになり競馬にのめり込みました。

ついでに、鞍上の小島貞博騎手も好きなってしまい、根っからのミホノブルボン好きになったことで、競馬ファンになったんです。

当時も思いましたが、朝日杯3歳ステークスを見直すと、あれだけ引っ掛った状態でよく勝ったなぁと言うレースでした。

それと同じように、ミホノブルボンは距離が1600Mぐらいが限界だろうとも思っていたはずで、当時の競馬ファンなら、まさかダービーを勝つとは想像できなかったでしょうね。

キシ
朝日杯3歳ステークスは、ミホノブルボンの勝負根性で勝ったようなレースだと思います。普通の馬だったら、ヤマニンミラクルに抜かれていたような気がします。

ミホノブルボンが勝ったダービーの記憶!

皐月賞も勝ち無敗のままダービーへ向かったミホノブルボンだけど、さすがに2400Mは持たないだろうとファンの自分でも思っていました

自分のスタンスとして、応援する馬と実際に予想をする馬は違うと思ているので、ミホノブルボンのファンだけど予想はナリタタイセイを本命にしていたはず。

当時は、NHK杯を勝った馬はダービーに勝てないと言われていて、それを破ってくれるのはナリタタイセイだと予想をしていました。

結果は知っての通り、見事に2400Mをミホノブルボンが逃げ切るのですが、予想はハズレたけどミホノブルボンのファンとしてスゴくうれしかったのを覚えています。

苦労人だった小島貞博騎手がダービージョッキーになったこともうれしかったし、本格的に競馬ファンになったキッカケの馬がダービーを勝つだけで興奮しました。

もしかしたら、このまま勝ち続けてシンボリルドルフ以来の無敗の3冠馬が見られるかもと、当時の競馬ファンは誰しもが思ったでしょう。

キシ
ミホノブルボンが勝ったときのフジテレビの実況がスゴく良いんですよね。あの実況を聴くと、当時を思い出して涙が出そうです。

菊花賞での悲劇!でもこれが競馬なんです!

秋初戦の京都新聞杯も勝ち、これで菊花賞馬になれると思っていたミホノブルボンの前に立ちはだかったのは、生粋のステイヤーだったライスシャワー。

ダービーは18頭立ての16番人気だったのに、菊花賞のときは2番人気になって驚いたことを、今でも覚えています。

あとは、レースの前からずっと逃げ宣言をしていたキョウエイボーガンの存在ですが、当時は憎らしくて仕方がなかったけど、今ではこれも競馬なんだと納得しています。

いくら無敗の3冠馬の可能性があるからと言って、逃げる戦法しかできないキョウエイボーガンが、ミホノブルボンに先頭を譲る理由にはなりませんからね。

結局、ミホノブルボンはキョウエイボーガンに先頭を譲ることになり、それが原因なのかどうかは分からないけど、ライスシャワーに負けて無敗の3冠馬にはなれませんでした。

それでも、マチカネタンホイザに抜かれると思ったところを、踏ん張りきって2着になったのは、ミホノブルボンの意地を見たような気がします。

今でも思うのが、もしあのときキョウエイボーガンが逃げずに、ミホノブルボンが逃げていれば、無敗の3冠馬の誕生したかどうかです。

キシ
血統だけで語れないのが、競馬の面白さでもあるんですよね。デビュー当時のミホノブルボンを見て、菊花賞に出られること自体、誰も想像できなかったはずですから。

もしキョウエイボーガンが逃げていなかったら・・・。

もしミホノブルボンが逃げていたら、もしキョウエイボーガンと競り合っていたら、競馬ファンなら当時はずっと考えたことだと思います。

当時は、キョウエイボーガンが原因でミホノブルボンが負けたと思っていたけど、今考えると、稀代のステイヤーのライスシャワーには、単騎で逃げても勝てなかったのではと思っています。

もちろん、それはライスシャワーが後に天皇賞(春)を2度も勝ったから思うことで、さすがに当時はそこまで思えなかったですけどね。

でも、3冠が掛かった菊花賞に戻れることができたら、大敗するかもしれないけど、ミホノブルボンが逃げる姿を見たいです。

小島貞博騎手も戸山調教師も同じように、負けても良いから、ミホノブルボンの競馬をしようと思うでしょうね。

みんさんは、もしミホノブルボンが逃げていたら、菊花賞に勝って無敗の3冠馬になったと思いますか?それともライスシャワーが勝つと思いますか?

キシ
菊花賞が最後のレースになったので、最後は自分のスタイルに徹して逃げる、ミホノブルボンが見たかったですね。

大ファンだったミホノブルボンを生で見た!

現役時代は、1回も生でミホノブルボンを見ることができなかったので、できれば1回だけでも良いから、どこかでミホノブルボンを見たいと思っていました。

そう思っていたときに知ったのが、ミホノブルボンが東京競馬場で引退式をするニュースでした。

確かテレビか新聞で知ったと思うのですが、高校生だったけど、どうしてもミホノブルボンが見たくて、東京競馬場まで見に行きました。

写真の1枚でもあれば良かったけど、当時は携帯もスマホもデジカメもない時代で、フィルムのカメラも持っていなかったら、写真がないのが残念でなりません。

さらに、引退記念のテレホンカードも持っていたのですが、家をリフォームする際にどこかへ行ってしまいました。

でも、記憶の中にはしっかりターフを歩いているミホノブルボンの姿が残っているので、ファンとしてはそれだけで十分。

最後のレースが菊花賞になってしまったけど、ジャパンカップや有馬記念で走る姿を見たかったし、海外のレースでも走る姿を見たかったですね。

キシ
大好きだったミホノブルボンの姿を、生で見られて本当に感動しました。ちなみに、トウカイテイオーの引退式も見に行きました。当時はかなりのミーハーな競馬ファンでした(笑)。

まとめ

今での自分が1番に好きな馬は、ミホノブルボンのままなので亡くなったことは寂しいけど、鞍上の小島貞博騎手も戸山調教師も一緒だから寂しくないでしょう。

鍛えて育てればミホノブルボンのように、強くなることが証明できたけど、馬にかなりの負担が掛かっていることもミホノブルボンで分かったと思います。

さすがに今の時代では、ミホノブルボンのように鍛え上げるような調教師はいないと思うので、同じような馬を見られることはなさそうですね。

それに今だったら、小島貞博騎手ではなく、トップジョッキーに乗り替わりをさせるべきだと馬主が言ったはず。

ミホノブルボンが活躍していた頃は、まだ調教師の力が馬主よりも強い頃だし、戸山調教師が専属の騎手しか騎乗させないと言っても、通用する時代でしたからね。

ある意味でミホノブルボンは、古き良き時代だったからこそ、戸山調教師と小島貞博騎手に巡り合えてダービー馬になれたのかもしれません。

キシ
戸山調教師・小島貞博騎手のコンビだったからこそ、ミホノブルボンは活躍ができたような気がします。他の調教師と騎手だったら、この結果は出なかったでしょうね。
競馬コラム
この記事が気に入ったら
いいね!しよう
最新情報をお届けします。
ドスポグ