巨人のスカウトマンが連れてくる外国人選手は、広島・中日・ヤクルトなどに比べて、外れの選手が多いような気がしませんか?
特に1990年代に関して言えば、なんでこんな外国人選手を獲得したのか、と思ってしまう選手たちが多かったはずです。
そこで今回は、1990年代に限定して活躍ができなかった外国人選手を、10人ほど選んだので何人くらい覚えているか確認してください。
実際に巨人ファンの自分は、半分くらいしか記憶に残っておらず、いつ巨人に来ていつ去ったのか分からない外国人選手が何人もいました。
他球団に比べると、巨人はお金を持っているはずなのに、なぜか外国人選手のハズレが多いは、やはりスカウトマンがダメだからでしょうね。
ヘクター・デラクルーズ(内外野手・右投右打)
年度 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
1991 | 5 | .250 | 0 | 0 | 0 |
1991年に在籍していたのが、辛うじて名前だけなんとなく覚えている、ドミニカ出身のヘクター・デラクルーズ選手。
1軍での成績は、わずか5試合の5打席のみしかなく、同年の7月には成績不振を理由に解雇されてしまったので、覚えている人も少ないのでは。
確かこの年は、頻繁に外国人選手を入れ替えていたような気がしており、外国人担当のスカウトマンに見る目がなかったことがよく分かります。

デニー・ゴンザレス(内外野手・右投右打)
年度 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
1991 | 40 | .244 | 9 | 27 | 1 |
1992 | 1 | .500 | 0 | 0 | 0 |
1991年から1992年在籍していたのが、途中から入団してそこそこ人気があった、ドミニカ出身のデニー・ゴンザレス選手。
デラクルーズ選手の後釜として入団したゴンザレス選手は、打撃の際に左足がつま先立ちになっており、かなり変わった打撃フォームだったはずです。
ゴンちゃんの愛称で人気もソコソコあったけど、1992年の開幕直後にモスビー選手を獲得したことで、押し出されるように解雇されてしまいました。

ジェシー・バーフィールド(外野手・右投右打)
年度 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
1993 | 104 | .215 | 26 | 53 | 1 |
1993年に在籍していたのが、メジャーで本塁打王も獲得している、アメリカ出身のジェシー・バーフィールド選手。
バーフィールド選手は、メジャー通算の本塁打が241本もあり、当時の監督だった長嶋茂雄氏が好きそうな打者でしたね。
本塁打だけを見ると、活躍したように見えるけど、打率が215で三振が100を超えていると、さすがに1年でクビにしてしまうのも分かります。

ミッキー・ブラントリー(外野手・右投右打)
年度 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
1993 | 13 | .182 | 0 | 4 | 0 |
1993年の途中から在籍していたのが、こちらも名前ぐらいしか記憶にない、アメリカ出身のミッキー・ブラントリー選手。
もしかしたら、名前が似ているので活躍したブラッドリー選手と勘違いしそうだが、名前は似ていても成績は全く似ても似つかなかった。
他の外国人選手の不振で途中から補強したのに、他の外国人選手よりも打たなかったので、1年で解雇されるのは当然でしょうね。

ジェフ・マント(内野手・右投右打)
年度 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
1996年 | 10 | .111 | 0 | 1 | 0 |
1996年に在籍していたのが、ファンの間ではマントじゃなくてトンマだと言われていた、アメリカ出身のジェフ・マント選手。
本当に打たなかった記憶しかなく、自分もトンマだと思いながらテレビ中継を見ていた記憶のある、ハズレの外国人選手の一人でした。
結局、成績不振を理由にシーズン途中の5月で解雇されますが、当時の年俸は1億5千万円だったらしく、巨人のスカウトの目が節穴だと分かるでしょう。

マリオ・ブリトー(投手)
年度 | 登板試合 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 防御率 |
1997 | 39 | 3 | 2 | 19 | – | 3.33 |
1997年に在籍していたのが、巨人に台湾ブームが到来していた際に獲得をした、ドニミカ出身のマリオ・ブリトー選手。
当時は、台湾から外国人選手を獲得することが多く、ガルベス選手からの紹介だったらしいですが、そんな理由で獲得するとは驚きです。
成績だけを見れば、ハズレとは言い難いかもしれないけど、印象としては不安定すぎるので安心して見ていられないクローザーでした。

ルイス・デ・サントス(内野手・右投右打)
年度 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
1997 | 39 | .237 | 0 | 14 | 0 |
1997年に在籍していたのが、マリオ選手と同じく台湾でプレーしていた、ドミニカ出身のルイス・デ・サントス選手。
当時の記憶としては、「台湾のイチロー」と言うフレコミだったのに、フタを開けてみれば、打たない守れない走れないの逆イチローでした。
記憶が正しいか分からないけど、守備がヘタ過ぎるのでメガネを掛けろと言われたけど、老眼鏡の方が良いのではと揶揄されていた記憶があります。

ペドロ・カステヤーノ(内野手・右投右打)
年度 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
1997 | 64 | .197 | 4 | 23 | 0 |
1997年に在籍していたのが、こちらも辛うじて名前を覚えている程度だった、ベネズエラ出身のペドロ・カステヤーノ選手。
前述のルイス選手が不振だったので、カステヤーノ選手をシーズン途中で獲得したらしいけど、打率が2割にも届かない成績でした。
1997年は、全部で3人もノミネートしているけど、クビにするのは選手ではなく、スカウトマンだったと思ってしまうくらいヒドかったですね。

エリック・ヒルマン(投手・左投左打)
年度 | 登板試合 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 防御率 |
1997 | 2 | 0 | 1 | 0 | – | 3.00 |
1998 | – | – | – | – | – | – |
1997年から1998年に在籍していたのが、ロッテで大活躍をしたことから獲得することになった、アメリカ出身のエリック・ヒルマン選手。
ロッテでは、かなり活躍をしたから、巨人でも同じくらいの期待をしていたけど、結果的にはわずか2試合しか投げずにクビ。
当時、ヒルマン選手が言った「左肩に小錦が乗っている」は、迷言として巨人ファンの心に刻まれているでしょう。

マリアーノ・ダンカン(内野手・右投右打)
年度 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
1998 | 63 | .232 | 10 | 34 | 1 |
1998年に在籍していたのが、ヤンキースでワールドチャンピオンの経験がある、ドミニカ出身のマリアーノ・ダンカン選手。
バットに当たれば遠くへ飛ばすが、全くと言って良いほど当たらなかったので、見事に期待を裏切り1年あまりでクビでした。
ダンカン選手での記憶は、ガルベス選手が甲子園で暴挙に出たとき、必死になだめようとしていたことぐらいしかありません。

まとめ
今回ご紹介した1990年代限定!巨人に在籍したハズレ外国人選手たちワースト10!はどうでしたか?
自分の勝手な人選なので、もっと他の外国人選手が入るかもしれないので、巨人ファンの方からのご意見をお待ちしています。
順位は、これと言って決めていませんが、あえて選ぶなら打者だとルイス選手、投手ならヒルマン投手の2名でしょうか。
ちなみに、8人も選んでしまった1993年から1998年は、長島茂雄政権下だったので、なんとなくこの結果に納得する巨人ファンも多いはずです。
一番に興味があったのは、この当時の外国人担当のスカウトが誰だったのかだけど、残念なことに全く分かりませんでした。
なお、自分の記憶違いや間違っている部分があるかもしれないので、その際はお手数ではありますがご一報いただけると幸いです。
